工芸と美術


 「工芸と美術」の性質や、その関係に就いては、まだ充分論議されたこと

がない。寧ろその間に論ずるに足りる重要な題材は見当たらないかのように

考えられて来たのである。併し美の問題を省みる時、私はそこに本質的な題

材が内在しているのを感じないわけにはゆかない。

 嘗て私達が民芸の意義を称えた時、多く嘲弄や疑惑を受けた。今も非難の

声が残ることに於いて変わりはない。だがこの五、六年の間に於いて、私達

の信念は、幸いにも工芸界に不動の位置を得た。色々の批評もあろうが、私

達は私達の主旨の正当なることを疑うことが出来ない。私達は安全に時間の

審判を待ちつつあるだけである。

 だが私は問題をもう一歩進め又拡げよう。そうして一般の見方に対し更に

大きな改革を要求しよう。私は恐らくこの立論に於いて民芸の場合以上に疑

惑を受けることを予想することが出来る。何故なら不動だと考えられている

在来の見方への明確な抗議となるからである。併し私はここに到達するのに

既に長い旅行を過ごした。そうして発言の自由を選ぶのに、今や時が充ちた

と思う。

 私は凡ての人が当然考えねばならぬ疑問から問題を発足させよう。


   一

 「美術工芸」という言葉は一般によく知れ渡っている。西洋でいう 'Art

and Craft' の訳と思うが、既に用い慣らされた日本語である。逆に「工芸

と美術」という場合がないのは、云うまでもなく両者に与える位が違うから

である。美術は位が高く、工芸が低いとされるのは常識である。美術家と職

人とは違う。画家と画工とは別である。そこには明確な階級的段位があると

誰も思う。それは丁度貴族と農民との位置に等しい。だから工芸家のせめて

もの慰めは、「工芸」から離れて「工芸美術」に身を置こうとするのである。

「工芸」では身分が低い。

 近来美学に於ける美術への強い信頼、工芸への驚くべき閑却、この傾向は

二つのものへの階級的差別の現れに過ぎない。史家にとっては美の歴史は何

より美術史である。従って工芸史は常に二次的な位置に遂いやられた。それ

等に関する著作の数を想えば、現状が如何なるものであるかが明らかであろ

う。どの大学も工芸論に講座を与えることに躊躇する。

 だがこの位置はこれでよいか、このままでよいか。私はその見解に対し明

確に「否」と答えよう。

 日々現実の生活に交わる工芸である。当然働くべき身であるから、農民に

比せられたとて何の差支えはない。私は工芸が低く現実の生活に即すること

を否もうとするのではない。否、そこに誇らしさをさえ感じさされる。だが

何故多くの人達は働き手たることを低いことと考えるのであるか。何故然ら

ざるものに高い位を想うのであるか。何故働きを避ける貴族的なるものを美

の領域に於いてしかく貴ばねばならないのか。何故特殊なるものを一般なる

ものの上に置かねばならないのか。何故一般なるものの上に美の基礎を置く

ことを躊躇するのか。高い美は、現実的な、普通なものと交わるべきではな

いとされるのか。私達はここに位置を覆し、美術を僕婢にし、工芸を貴族に

変えようと試みるのではない。そんな新たな階級はどうでもよい。併し少な

くとも工芸を虐げられた位置から救い起し、吾々の僚友として意識すること

を求めようとするのである。そうしてその僚友の上に美の王国を建設するこ

とが、貴族の位置にそれを望むより、遥か正当であることを宣べたいのであ

る。美術への偏重と工芸への階級的軽視とは、近代美意識の根本的な誤謬で

あると私には思える。

 私はこの真理を、近頃流布する弁証法的イデオロギーから帰納したのでは

ない。私はそうでないことに満足を覚える。私は文法を作ってから言葉を産

もうとしているのではない。私は事実に直接当面してこのことを主張するの

である。問題への経路を短縮するために、先づこう諸君に尋ねよう。諸君は

どんな絵画を美しいと呼ぶのであろうか。今はそういう美しいものにめった

に逢えない。特に近来は悪いものが多く、探せば多くは時代を昔に返すより

仕方がない。だがかくして私が選んできた美しい絵画とは何か。私はその絵

画の美が実に工芸的な性質を帯びているものに限られてくるのに驚嘆する。

私はなぜ近頃の美術展覧会に出渋るのであるか。見ても興味が起こらないか

らである。美しいものが殆ど無いからである。なぜ美しくないのか。私はそ

れ等の絵に実に工芸的美しさの乏しいことを気付かないわけにはゆかない。

そうして美術が優れたものである時、それが工芸的性質を帯びているのを見

ないわけにはゆかない。

 恐らく多くの読者には、結論に近いこの言葉が即座には受取り難いであろ

う。だが私は漸次にその意味を明らかにして納得を乞おう。ここで日本の家

庭を訪ねて、その家の牀にどんな絵が掛かっているかを見よう。私はその掛

軸に心を惹かれたことがいたく少ない。美しいものが殆ど見当たらないので

ある。私は強ち持ち主の選択を責めようとするのではない。なぜなら真に美

しい絵を求めようとしても全くむづかしいからである。古い時代のものには

色々とあろう。しかしそんなものを一般の人が手に入れ得るわけにゆかない。

だが何故近頃優れた画幅が少いのであろうか。思うに美術が個人の力に立つ

からである。しかも個人で真に優れた者、即ち天才がこの世に稀有なのは統

計の示すところではないか。殆ど凡ての絵画がつまらないのは、最も難しい

個人の道を歩くからに他ならない。(何も絵画の場合ばかりでないのは言う

を俟たない)。或る場合著名な画家の作を例に挙げるかも知れない。しかし

その難行の道を徹し得た画家が幾許あろう。多くの買い手は名で購って、作

そのものを見ない。だが翻って卑下されている工芸の領域を見よう。特に在

銘でない品々を見よう。私達はそこから美しいものを選び出すことにそう困

難を感じない。現在作られるものですら、必ずしも少しとしない。なぜであ

ろうか。それ等のものの多くが易行の道で作られているからである。作者自

からに力はない。だが他力に助けられて、救われている場合がどんなに多い

ことか。或る人はこう詰るかも知れない。それ等の工芸の世界にも、醜いも

のが夥しいではないかと。誠にそうである。私達は私達の周囲に存在すべか

らざる無数の工芸品を有っている。だがまがいもない事実を読者に耳打ちし

よう。実にその醜いものの半分は、所謂「工芸美術」を志したものに他なら

ないのだと。そうして残りの半分は、企業家達から強いられて作られている

醜いものに過ぎないのだと。

 私は文展の四部から、共に日々暮したいものを選んでくることに困惑を感

じる。美術をきどって作られた工芸、醜さの悲劇はそこから起こる。なぜな

ら彼等の殆ど凡ては天才ではないからである。個性があったとて、小さな個

性の持主に過ぎないからである。

 だが皮肉にも無銘な実用的な工芸品の中には、どんなに謙虚な無事な健康

なものが多く見出せるであろう。農家の台所や裏町の荒物屋の方が、実は更

によい陳列場だと思える。一つや二つは愛すべきものに何か逢える。天下の

著名な茶器は、悉くそういう所から選ばれて来た品物である。「大名物」は

例外なく無銘の実用品に過ぎない。茶人の眼は正当だと思える。だがこれは

初期に於いての出来事に過ぎない。茶器に銘が現れるや、俄然として醜いも

のが闖入してきたのである。工芸品ではなくして工芸美術品たらんと欲した

からである。

 どんな文展の審査員たる著名な陶工が、一文不知の職人が作った明の染付

以上のものを作ってくれたことがあるか。どんな織物の大家が、無学な名も

知れない女達の作ったコプト以上の美しい作を見せてくれたことがあるか。

どうしてこんな逆理が白昼起こるのであるか。個人の道の脆さを想わないわ

けにゆかない。

 だが中には優れた人がいる。天才と呼んでよい人がいる。そういう人達か

らは稀有な作品が生まれる。だが結果から見たらどうであろうか。その作が

優れていればいるほど、工芸的美しさに近づいているのである。なぜであろ

うか。丁度禅宗の坊さんが「放下」の境に達するのと同じように、美しさが

個性を越えたものに深まってくるからである。人間の作が法の作に高まって

くるからである。自力の行者が達し得た境地は、他力の信者が救われる境地

と、不二なのを示してくる。それはもはや個人に立つ美術ではない。もっと

普遍な美にまで高まっている。私はそういう美を「工芸的」と呼びたいので

ある。なぜなら個性などに滞っているような作ではないからである。その現

れとしては、画相が法式的なものに還元されているのを見る。それは一種の

紋様に甦える。そこまで絵が煮つまってくるのである。それは工芸の境地で

ある。


   二

 ここで私は簡単乍ら、美術と工芸との差別に就いて述べておこう。

 美術とは何なのか、何がその特質なのか。誰も気づく顕著な性質は、それ

が個人的な点にある。個人作家による製作が美術である。それ故在銘の作物

と短く呼んでもよい。言い換えるとその背後にある個性の特質が明確である

ほど、美術としての存在も亦確実化される。個性が稀薄なら作物も亦貧弱で

ある。従って独創の多寡がその運命を左右する。美術はこの意味でいつも天

才を必要とする。卓越した個人なくして美術は成り立たない。それ故美術と

は天才の所産だとそう云いつめてよい。個人の存在が意識されるに及んで美

術が発生したのである。美術は個性的である。個性的なのがその顕著な特色

である。

 しかもその作物は美の表現を主眼とする。言い換えれば美への意識が美術

を産むのである。美術は従って意識的作物だと云ってよい。美術家は美とは

何なのかを観察する。それ故しばしば理論家でさえある。時としては歴史家

である場合さえある。美術に絶えず流派が起こるのはその反映である。個性

を通した美意識の表現が美術家の仕事である。

 従って美術は特殊性に立っていると云える。他に類例のない独自なもので

あってこそ力がある。作者も表現も手法も独特なものであるほどよい。美術

はどこまでも独創性に立っている。これに付随して美術的作物は数が少ない。

反復するものではないからである。この少量ということと、天才の作物とい

うこととが合わさって値が高価である。何処にも在るものではなく、また何

時でも誰にでも買えるものではない。この意味でも美術は特殊な存在である。

それ故尚尊重されるに至るのである。造形美の中で、絵画と彫刻とが、美術

の二大門となった。それは鑑賞的な作品で、実用的なものではないからであ

る。

 だが工芸に来るとまるで別の世界が展開される。工芸は元来非個人的であ

る。天才だけに許された仕事ではない。修練さえ積めば殆ど誰にでも開放さ

れる領域である。芸術家と見做されない職人がその作者である。それ故個性

的なことがそれを産む力ではない。手法上大概の場合分業と合作が、その作

物をよくするのである。かかる意味で非個人的だと云える。それ故必ずしも

独創が工芸を美しくするのではない。寧ろ伝統に達せずばその完成がない。

どの道個人的仕事に止まるのを許さないのが工芸の本質である。この意味で

工芸は無銘である。この世に知れ渡っている最も卓越した織物、焼物、木工

など、殆ど皆無銘品である。

 しかも工芸品は現実的である。見られるための作品であるより、用いられ

るための品物である。謂わば生活に即したもので、思想的内容を盛るがため

のものではない。故に必ずしも意識的作物たることを必要としない。却って

無意識こそこの分野では大きな働きをする。美術を意識的な神学者に譬える

なら、工芸は無心な平信徒と云ってもよい。兎も角工芸では作者の自由より

伝統への帰依の方がもっと大きな働きをする。

 それ故工芸の性質は個人的でなく一般的だと呼んでよい。僅かばかりの天

才ではなく、大勢の職人達がこれに携わっている。それに誰の生活にも奉仕

する品物こそ、工芸中の工芸とも云える。それで工芸品たるからには元来多

産的な性質がある。多量であれば価格も低廉になる。これ等の性質に欠けれ

ば実用性から遠のいてくる。かかる一般性に於いて美術との大きな開きが出

て来たのである。工芸は社会性に立つ工芸である。

 約言すると美術は私的であるが、工芸は公的である。前者には個人的自由

がいつも要求せられ、後者には一般的法則が必要とされる。一方が個己の美

なら、他方は型の美と云える。工芸は個人の上に立脚しない。美術が民衆に

立脚しないのと対立する。

 だがこの両者の間に介在して特別なものが近世に発生している。日本では

普通それを「工芸美術」と呼んで工芸とも美術とも区別する。物が工芸の領

域に在って、道を美術にとる時、この特殊なものが構成される。作者は個人

的作家であり、製作も意識的仕事であり、目的も美の表現である。只作物が

工芸品の姿をとるのである。それ故純正美術でもなく又純正工芸でもない。

「工芸美術」と云われるのはその故である。

 なぜこのようなものが発生したのであるか。理由は明白である。美術に影

響されて、個人的な意識的な工芸品が一層望ましいと考えるに至ったからで

ある。それに最近に於ける工芸品の低下は、益々その必要を迫ったとも云え

る。工芸より工芸美術の方が、一段も二段も格が高いと考えるのは既に常識

でさえある。美しさは「美術的」だという言葉で言い現されていたのである。

低い工芸の位置を離脱して美術に近づくことが、工芸家の任務と考えられる

に至ったのである。それ故「工芸美術」を美術に影響された意識的な工芸と

呼ぶことが出来よう。歴史の過程に起こる著しい一現象である。

 さて、私はこれ等の差別を、最初歴史的立場から観察しよう。果たして始

めからこんな区別があったかどうか。若し無かったのなら、何時この差別が

生じたのか。

 今は誰も「美術と工芸」という言葉を使う。誰もこの二つの間に、はっき

りした区別をつける。日本ではこの言葉が明治以後に生まれたのは云うまで

もなく、それが英語の'Arts and Crafts' の訳字であることを誰も気づく

であろう。この場合 'Art' が 'Fine Art' であり'Craft' が 'Useful 

Craft' を意味するのは謂うまでもない。

 だが私達は 'Arts and Crafts'なる字句が決して古い昔には無かったの

だということを知る必要がある。それは僅か半世紀の歴史にも満たないので

ある。始めてこの言葉を使ったのはCobden-SandersonやWilliam Morris

であって、1888年、彼等が Arts and Crafts Exhibition Society

を建設した時に始まる。殆ど一切の言葉を網羅していると思える『牛津英辞

典』にすら、この普通極まる字句が載っていない。理由は明白であって、そ

の第一巻A部が出版されたのは、同じ1888年だからである。私達は「美

術と工芸」なる言葉が如何に新しいかを知らねばならない。

 のみならず時代を少し遡れば 'Art' と 'Craft' との二つの言葉が全く

同意義に使われていたのに気づくであろう。この二つの字は共に 'Skill'
  ワザ   タクミ
「技」「巧」の義に外ならない。 Art  即ち Craft であって、 Art と

Craftという使い方は無かったのである。私はそれを共に「技芸」と訳して

おきたい。 

 私達は実に'Fine Art'即ち「美術」という言葉すら起源が新しいのだと

いうことを忘れてはならない。この言葉は十八世紀末に始めて現れ、これが

「美術」の意に解されるようになったのは十九世紀以降である。如何に新し

い概念だかに気づくであろう。

 十六世紀の頃 'Arts-man'という言葉が使われたが、それは Craftsman,

Workman と全く同じ使い方で、職人の意であって美術家の意味ではない。

'Artsmanster'も 'A Master Craftsman'の意に外ならない。

 私達は今明確に'Artist' 「美術家」と'Artisan'「職人」とを区別して

使う。だが十六世紀末に発生した言葉であって、しかも当時は両者全く同意

義に用いられていたのである。そうして共に「工人」という意味だったので

ある。'Artist' が「美術家」という意に転じたのは近来の出来事に過ぎな

い。実に 'Artistic'「美術的」 Artistically「美術的に」なる言葉も皆

十八世紀末以降の所産である。元来'Art'という言葉の中には「美術」とい

うような概念は無かったのである。況んや個人的な作物という意味は毛頭な

い。ましてそれを油絵とか彫刻とかに限ったことはない。私はこのことを甚

だ興味深く思う。兎も角'Art'という字は「技」を意味したに過ぎないので、

それが「美術」を意味したのは少なくとも1888年前には見出せない。

従って 'Artist'も元来は「技にたけた人」の意であり、しかも十六世紀末

以前にこの字はなく、それまで悉く'Artificer'という字を用い、これが全

く'Craftsman'と同意義であったことは極めて注意に価いする。

 然るに'Craft'という字の方は甚だ古く、既に九世紀の文献に出てくる。
サキ
嚮にも書いた通り、'Artistic','Artistically' などいう言葉が僅か十八

世紀半以降に出たのに、これに反し  'Craftful, Craftious, Crafty,

Crafted,Craftily,Craftly'  などいう言葉はずっと古い。これ等のこと

を考慮に入れると、古くは殆ど「美術」'Fine Arts' なる概念はなく、造

型的作物はいつも「技芸」というような言葉で現され、それに従事する者は

Craftiman, Craftsman, Craftman, Craftsmaster など即ち「工人」と

いう言葉で示されたのである。前にも述べた通り、'Artificer'  なる字も

「工人」という義で用いられた。

 今日工芸のことを 'Industrial Art' 'Technical Art' など呼ぶが、

これ等の言葉も極めて近世のものに過ぎない。Industrial という字は十六

世紀以前になくIndustrialize, Industriliasm  等は実に十九世紀になっ

てから出来た英語に過ぎない。

 さて、これ等の言語的考察は、次の事実を私達に明示する。

 第一「美術と工芸」という言葉はモリス以降のことであって、この両者は

元来明確に区別して考えられたことはなかったのである。これを裏から云え
                             スガタ
ば、本来両者は同一な義に解されていたのである。謂わば一つの相に於いて

省みられていたに過ぎない。

 第二に凡てのものは「技芸」の領域に属し、これを作る者は悉く「工人」

だったのである。今日意味する如き「美術家」の考えは存せず、寧ろ凡てが

職人だったのである。それ故古作品の凡ては、それが絵であろうと器であろ

うと、一列に工芸品の意義に近かったのである。

 第三に古作品は殆ど凡て実用性を持っていたのである。単に見られるため

の物ではなく、用いられるための作物だったことが分かる。前者の発生は比

較的近世で、昔は見ることと用いることとは一体だったのである。

 第四にこれ等のことからして昔は工人達は決して個人作家の立場にはいな

かったのである。それ故作物は個性の表現を旨としたものではない。これに

反し各時代を通じ「型」の芸であって、従って非個人的であった。工人達は

寧ろ伝統に忠誠であった。少なくともその作物は伝統的になった時、技とし

て最も冴えたのである。

 第五に元来凡ては工人達の技によって出来た作物であったから、同一のも

のが反復して作られ、従って量を持つ作物だったのである。多量に作ればこ

そ腕が冴えたのである。そうして工人達は大勢いたので、少数の美術家は別

に存在していなかったのである。又問題にされていなかったのである。美術

家が独立したのは、前述の通り極めて歴史が浅い。

 ひるがえって和語漢語を見よう。西洋と同じように古くは美術と工芸との

差別はなかった。工芸なる字句は遠く唐代にあることはどの字典も示す通り

であるが、その当時も決して「美術」に対して使われた言葉ではなく、絵画

をも工芸なる言葉で現していたことが分かる。日本で絵師とか画工とか云う

が、この「師」とか「工」とかは一つの技に達し秀でた者を云うので、決し

て今日いうような個人作家を意味したのではない。彼等は美術家であったよ

りも遥かに工人であったのである。術、技、芸、工、巧、匠、能、などの字

句は英語の Skill, Craft, Art と全く同一の意味である。 Art は語源

で 'Arm' と関係があるが、日本でも「腕きき」などと云う。何れにして

も吾々にこそ美術と工芸との区別が意識されているが、すこし遡ればその境

界はうすい。明治以前は兎も角この区別が明確でなかった。言い換えれば多

くの場合凡てが一つの範疇から考えられた。

 西洋でこの差別が発生したのは、恐らく文芸復興期の頃からであろう。そ

れまでは凡ての画家も彫刻家も伝統的作家であって、個人作家ではなかった。

遠くギリシャにフィディアスの如き個人の名を挙げ得るかも知れぬが、彼は

同じ流れを汲んだ大勢の彫刻家の中の卓越した一人に過ぎなく、何も個性に

立つ作家と見做すことは出来ない。だが文芸復興期に於けるラファエルやミ

ケランジェロの如きは、明らかに非伝統的で個人の道を歩んだ美術家である。

哲学で云えばスコラ哲学までは伝統的であるが、デカルト以降個人の哲学に

移った。

 東洋では宋代あたりから個人的画工の意識が台頭してきて、明、清に及び、

日本ではそれがやや明らかになったのは、鎌倉頃からと見る方が妥当であろ

う。併しそれ以後に於いても美術と工芸との明確な離別は一般に考えられて

はいなかったのである。美術展覧会、特に個人展覧会の如き、実に最近の現

象に過ぎない。

 それならどうして美術と工芸とが峻別されるに至ったか。最も大きな原因

は近代に於ける「我」の自覚による。伝統の堕落は一面個性の覚醒を促し、

その反抗は個人主義の勃興となって現れたのである。それに伴い協団として

の社会が漸次崩壊し、個人を中心に文化は発展し、造型美の領域に於いては、

美術の位置が遂に確立されるに至ったのである。

 その結果個人的作物に非るものは卑下せられ、美術に対し工芸の部門が区

別されるに至った。これ等二つのものに見られる上下の階段は、かくして一

般の常識にさえ達したのである。美術は遂に独立し、個人中心の見方は美の

領域を風靡して了った。そうして個性に基礎をもつ作物が極度に尊重せられ

るに至った。その結果美術家には特殊な自由さえ是認せられ、道徳を越える

特権さえ付与せられ、自由人として謳歌せらるるに及んだのである。

 さて、これ等の趨勢は嘗て何を成し、今又何を為しつつあるか。今後もか

くの如く美の世界を二つに峻別してよいか。このことは美の問題に対し極め

て重要な題材である。


   三

 それが善きにせよ悪しきにせよ、近世に於いて事情は工芸と美術とを分離

させた。美術がかく独立したのは、「我」の自覚に基づく。意識ある個性が、

その自由な表現のために美術の道を選んだのである。美術は個人に於いて発

達し、その目標をいつも個性の表現に置いた。美術の繁栄は、個人主義の時

代と離すことが出来ない。個人あっての美術である。

 この現象は人間が美の都に到達するために、過ぎねばならぬ当然な過程で

あったと云えよう。自覚期こそは人生の貴重な一時期である。多くの天才は

美術の道を通して、幾多の貢献を文化史上に遺した。これがため人間の美に

対する意識は甚だしく拡大された。意識によって又個性によって、まだ知ら

れなかった多くの美が開発せられた。

 だがここで私達は考えねばならない、考えるべきが至当であると思う。私

達は目的地に達するために今後も猶同じく意識と個性との道に、吾々の力を

集中すべきであるか。美への標準を依然として美術の中にのみ求むべきであ

るか。美に対し個人を中心とする見方を将来も保持してゆくべきであるか。

今までこういう問いは、あり得べからざる問いであった。だが将来の美の問

題を想う時、これより切実な問いはないであろう。

 吾々は美術が残した足跡に就いて、又その周囲の事情に就いて数々のこと

を目撃する。工芸と美術との分離によって吾々が得たものは何であるか。少

数の卓越した美術の向上と、多数の民衆による工芸の下落とであった。意識

的美術は優れた個性のみがたづさわり得る領域である。だがこのことは大衆

が如何に美術に近づき得ないかを物語るであろう。私達はここで二つの事実

を否定することが出来ない。天才はこの世に僅かよりいないということを。

運命は凡ての人間を天才にすることを許していない。それ故大衆と美術とは

結縁が薄いということを。だが私達は事情をこのままにしておいてよいか。

 私はもっと近づいて現状を見守ろう。天才が必要であるという反面には、

如何に大衆の美意識が今沈みつつあるかを物語るであろう。英雄は乱世を予

想すると云われる。大衆は乏しい意識と貧しい個性との所有者に過ぎない。

一般の人々は美術に近づく力をさえ有たない。事情は今民衆と美との関係が

如何に稀薄だかを示している。このままでよいのであるか。私達は美の世界

の創造を僅かの天才の所業にまかせて了ってよいのであるか。又は少数の卓

越した個人でなくば出来ないような仕事に満足してよいのか。

 結果として見れば美術と大衆との離反は、大衆の美に対する教養を益々乏

しくさせた。もはや美を創造し得るものは少数の個人であって大衆ではない。

昔に比べれば現状は遥かに悪い。だが大衆の力を弱めてよいのであるか。そ

れを避け難い宿命と見做して了ってよいのであるか。何か大衆と美とを結ぶ

道はないであろうか。当然このことを考えぬかねばならない。

 だがこの趨勢は更に著しい一つの現象を起こした。美術への尊重はひいて

工芸への軽視を伴ったのである。高遠な美術に比べれば用に即する工芸は二

次的なものに過ぎない。そう人々は考えるのである。一方は純粋芸術として

位を得、一方は実用工芸として卑下せられた。美学に於いても美術史に於い

ても、工芸は位置らしき位置を与えられていない。美術家と工芸家とには社

会的にも階級を異にして来たのである。かくして工芸は美の中心問題から長

い間遠のけられた。工芸と美術との分離は、事実として美術の専横を来たし

た。

 だがこれがために著しく工芸は萎靡するに至った。誰も知る通り近世に於

ける工芸史は衰頽の一途と云える。隆盛な美術の歴史に比べれば大きな違い

である。かかる結果は必然な命数だったと想える。なぜなら大衆の美意識が

下降した今日、大衆に支持される工芸が高上するいわれがないからである。

大衆の堕落と工芸の堕落とは常に一つである。だが美術が繁栄すれば工芸は

衰頽してもよいのであるか。その衰頽が美術への偏重に伴う現象であってみ

れば、美術に対する現在の理解には甚だしい不備があろう。工芸の衰頽は如

何なる意味に於いても望ましいことではない。なぜならそれは美と民衆との

離反を意味するからである。

 だがこれ等の事実によって導かれた最も恐るべき結果は美と生活の離別で

ある。原因は実に工芸の堕落によると考えられる。何故なら美と生活とを交

えしめるものは工芸をおいて他にないからである。近世の堕落した工芸は人

間の生活をいたく貧弱にさせた。富める者の生活と雖も決してこの例に洩れ

ない。殆ど凡ての人は今無数の用うべからざるものを用いて生活する。しか

もこのことを一般の人は意識しないまでに立ち至っている。これを望ましい

状態と呼ぶことが出来るであろうか。

 若し美の王国の建設が吾々の理念であるなら、工芸の衰頽は吾々をこの理

念から遠のけしめるではないか。私達はここで美術の繁栄だけでは、美の王

国が来ないことを痛感する。そうして美術への偏重は、変態の現象で健全な

過程ではないことを目撃する。美術の発生は一つの価値ある段階である。併

し段階は段階で目的ではない。私達はもはや美術時代に止まることが出来な

い。

 私達は今来るべき時代から催促を受ける。結局美の問題を、意識的な又個

人的な美術で説き去ることは不可能である。私達の経験は意識と個性との限

界に就いて、反省すべき時期に到達している。

 もとよりこの場合、如何なる改造があるにしても、私達は将来の美を意識

以下のものに探してはならない。なぜなら意識の歴史は意義なき経過ではな

いからである。同じように、個性を否定する道に出るなら間違うであろう。

来るべき道は当然それを包含し而もそれを越える道でなければならない。さ

もなくば人間の足跡を徒らに無益にするに終わるであろう。私達は尚も意識

の道を進めてよい。天才の出現を仰望してよい。だがそれだけでは足りない

のである。足りる筈がないのである。私達はもはやそこに止まるということ

が、如何に不充分であるかを熟知してよい。私達は美の王国の実現を美術だ

けに望んではならない。美術への過信は幸福を約束しない。

 この場合吾々の展望に入り来るものは何であるか。工芸の意義と価値とに

関する新たな認識である。

 私達は近世に発達した個人的美術を、美の都に至るために経由せねばなら

なかった一つの貴重な過程として眺めたい。だが美術は美術に止まることを

帰趣としない。時代は尚も個人主義に滞ることを是認しない。個人的美術は

既に一つの歴史的仕事を果たして了ったとも云える。来るべき時代の美は個

人性に終わるが如きものではない筈である。それは個人を越えて公衆に交わ

るものでなければならない。美は思想の域を出でて生活に即するものでなけ

ればならない。個人性より社会性へ、これが来るべき美の方向である。

 若しこの進展が必然なものであるならば、進路は美術から工芸へと転ずる

であろう。何故なら造型美の領域に於いて社会性を充たすものは工芸をおい

てないからである。工芸こそ社会美への要求に応え得る最も直接な道ではな

いか。工芸を無視するならこの理念の実現は不可能である。それなら美術よ

り工芸がもっと重大な意義を持ち来さねばならない。

 工芸への軽視は単なる習慣に過ぎない。そうして美術への偏重は貧しい惰

性に過ぎない。今まで人々は物の美しさを「美術的」という言葉で現してい

る。併し来るべき時代に於いては「工芸的」という言葉に置き換えるであろ

う。美の標準が美術性より工芸性へと推移するのが当然である。

 それ故若し美と社会性とに密接な交渉が生じるなら、美と工芸性とは同一

の意義を有つに至るであろう。物の美しさを工芸的なる故に美しいと、そう

判じる時が来るであろう。この意味で美術と工芸との位置は転換するに違い

ない。

 個人的時代は美術を一層必要としたであろう。併し社会的時代は工芸へと

関心を転ずるであろう。私はその傾向を祝福する者の一人である。美術時代

より工芸時代へ、個人美より社会美へ、これが当然到来する歴史の道程でな

ければならない。そうして更にその未来に再び工芸と美術との全き一致を見

るに至るであろう。作家と職人、美と用、これ等のものによき結合がなくば、

健実な文化は実現されないであろう。


(附)工芸と美術との歴史的推移

 一 未分時代  作物の凡てが工芸性を有ちし時代(過去)

 二 分離時代  美術が発生し工芸から独立せし時代(過去)

 三 個人時代  個人的美術が繁栄し工芸が萎縮せる時代(現在)

 四 社会時代  社会的工芸が主要な位置を占める時代(未来)

 五 綜合時代  工芸と美術とが綜合され統一される時代(未来)


                   (打ち込み人 K.TANT)

 【所載:『工芸』 27, 36, 42号 昭和8年3月,12月,9年6月】
 (出典:新装・柳宗悦選集 第7巻『民と美』春秋社 初版1972年)

(EOF)
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